九州から伝わった米地作り。数千年に及ぶ縄文文化時代の後に弥生文化時代が訪れる。北九州遠賀川(おんがかわ)地域の立屋敷跡から発見された幾何学的な文様をつけた土器」に代表される。遠賀川式土器は西日本一に広がっておりその東限がはっきり認められる。水稲工作、金属器、織物などの新しい要素を持った遠賀式の弥生文化は瀬戸内に沿って東に進み伊勢湾一帯まで急速に普及した。西志賀」における米作りの開始は土器片にみる米粒の他、炭化米200粒の出土の実現からも明らかである。これらの米粒は分析の結果、福岡県岩崎、奈良県唐古、滋賀県大中の湖のものと同類とされることからも稲の経緯がはっきりとわかる。米作りが始まったことにより採集、狩猟だけに依存していた生活よりはずっと安定した生活が出来るようになったと考えられる。この意味で西志賀の人々は尾張地方の米作りの先駆者であったといえよう。